今回は去年、コロナでカナダでの生活がどうなったか、体験談的なことを書こうと思います。
少しブルーになってしまうかもしれませんが、こんなこともあるんだな、くらいで捉えてもらえると嬉しいです。
1.はじまりは3月14日
2020年冬学期がほぼ終わりで、あとは授業が二週間+テストだけ!という状態でした。
個人的にはカフェでのバイトが決まった次の日でした。
首相夫人がコロナに感染したからでしょうか?
ノバスコシア州ではコロナ感染者がゼロにも関わらず、次の週からの授業は全部キャンセルとの発表が。
それまで他の州で流行が始まる中で数少ない感染者0の州だったので、おそらくこのまま抑え込みたかったのでしょうけど。
『出ていけるなら寮から出て行って』と通達が。
「はァ???」私の最初の反応です。
『3日後までに出て行ってくれたら今学期後半分の寮費を返す』
ほうほう。セールみたいな言い方じゃん?そうですか。
実家がカナダの生徒や他に当てのある生徒はみんな去っていきました。
大学として、この判断は正しいとは思ってます。
寮はやはり集団なので、感染リスクがあります。
寮にどうしても残らないといけないインターナショナル生が安全にもなるので。
ひと儲けできるナァとか思ってました。(してませんけど)
(大きめの鏡は拝借しました。まだアパートにあります。ありがたや)
さて、大変だ。
大学生の私たちは学校からの今後の発表を待つことしかできません。
残り授業はどうなるんだろう?
グループワークは?
テストは?
さて、何かやろうかと思っても、店は開かないし、休校なら課題でもやるかと思うけれど、もし、このまま課題がなしになったら?と思うとそれにも手を付けられず…
この時点で教授から連絡が入っている生徒もいたようです。
食堂でご飯を食べているときに
「最後のテストなしになって、単位取れない」と号泣する人がいたり、かなりカオスな状況に…
開いていたので。
なんで?と今では思いますが、暇すぎて、他にやることないので、それくらいしか活動らしき活動が思いつかなかった結果ですw
もちろん、がら空きでした。お客さんも自分たちの他に一組くらいしかいなくってw
一週間後、教授から連絡が次々に来ました。
不幸中の幸いか。
ダルハウジー大学ではもともとオンライン授業が一部で行われており、そのノウハウを使うことで、移行は案外すんなりいきました。
(これについてはしおりちゃんが書いてくれたオンライン授業についてで大体の雰囲気がわかります。)
個人的にはスペイン語のテストの点がこれまでのテストの最高点で成績に反映されたのが嬉しかったですw
3月16日:ジムが閉まる。
本格的になにもすることがなくなって、部屋の中か外に行くなら散歩するくらいしかなくなりました。
ちなみに、寮の食堂ではバイキング形式だったのがアクリル板越しに係りの人に
「あれ取って~あ、そこの卵も~」って言わないといけなくなりました。
バスで移動する際は座席がなくなれば乗車できなくなりました。
• サークル的には4月に新しい会長とかを決めるElectionのイベントが企画されていました。
個人的に一番やりたかったイベントだったのでめっちゃショック…
(自分が会長としての初イベント+先輩たちの卒業式的なことを簡単にやろうかと計画してた…)
• この時点では夏には普通になるだろうと甘い考えだったので、夏のイベントは計画を続けていました。(最終的にはキャンセルになりましたけども…)
• 4月からは友達とシェアルームの予定
まだ引っ越しはできる状況じゃないなあくらい
授業のオンライン化が決まってから三日目(3月18日)、ノバスコシア州内の感染者が5人に。
次の日から飲食店がテイクアウトオンリーになるという発表がされます。
今の日本の感覚であれば、「州全体でたった5人かよ」という感じにもなりますが、そのときのノバスコシア州にしてみれば大事件でした。
はあはあ、そうですか。
とりあえず、先輩と早稲田大からの交換留学生と友達と、ごはんにでも行くかと(次いつ会えるかわからないし)急遽決めて、ベトナム料理を食べました。(めっちゃおいしかった!w)
お金に触れる機会を減らすためです。
(もともと大学生は学生証を見せるとタダなんですけどねー学費にバス乗り放題料金が含まれてて)
こんな感じ。
個人的、大事件は3月20日に起こ(怒)りました。
朝9時、突然、寮の部屋のドアがすごい勢いでノックされます。どんどんどん
(うるさ。誰だよぉ)とドアを開けるわけです。
開けたらびっくり、知らないおばちゃんとおにいちゃんが立ってるんですよ。
(いや、おまだれ?)
Hiなんて言うわけですよ、人が良さそうに。
「いつ寮を出てくの?」
いや、はあああああああ???ふざけてんのか、と。
げきおこですよ。
そんな、他の生徒みたいに、
カナダの国境閉まりそうなときに、夏のイベントを計画してるときに(結局キャンセルになったやつね)何を言うのかと。
I'm from Japan. Don't you think going back is a bad idea?
(私、日本から来てるんスわ。日本の状況の方が悪いんだけど、帰れというんか?)
と。
そしたら
「じゃあ、インターナショナルセンターと打ち合わせして飛行機を取ることね。
日本って国境は閉めてないでしょ?」
とかね、言うんですよ。
まあ、そうだけど!そうですけども!
いっそ国境閉めてくれてたら選択肢がなくってどれほど楽だったか…
これはこの人らと話しても意味がないと察し、考えておきます。と言ってドアを閉めました。
とりあえず、4月からのルームメイト他3人(寮暮らしのインターナショナル生)と相談するか。
ということで、1人の部屋に集まって状況を把握。
みんなの部屋にそのおばちゃんとおにいちゃんは行ってるんだとわかります。
他3人の国は国境を閉めていたので、彼女らは寮に留まれる様子。
うーん、でもこの状況で寮で過ごしたくはないよなあってことで、アパート、早めに引っ越すか。と決めました。
そこから怒涛の3日間がスタート。
アパートの管理人さんに連絡したら、なんと早めの引っ越しがOKということに。
これはありがてえということで引っ越しを始めました。
ほんとに救われた…管理人さんにもルームメイトにも感謝しかないです。
さて、長くなりました。
現状を書こうと思ったのですけど、どうしても、去年の記録をどこかに残したくて、書き始めました。
プロットなしの文章なので、結構がたがたで、読みにくかったら申し訳ないです。
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